困難な洗脳?

2005.09.26■「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く

とりあえずこれを読んでみて欲しい

インテリジェントデザイン(ID)」論が正しいかどうかを考えて欲しいのではなく,それを教育の場で教えることの是非でもなく,一般に正しいとされている事を疑うことを教える意義についてである.

他人の意見,本に書かれていること,先人の言葉を疑うこと(EBMで言う批判的吟味)と全て否定してかかることは告示しているがその本質は全く違う物である

最近自分が教育の現場で教えていることが学習者に軽んじられていると感じることが時々あるが,たとえ「教科書であっても正しいとは限らない.その正当性を吟味せよ」ということを教えている以上,
自分の物言いが一度疑われる,というのは自分の本当に教えたいことが伝わっている証しなのかも知れない.

しかし,「教科書であっても正しいとは限らない.その正当性を吟味せよ」これを徹底すると,その先は「この病気の治療はこう」「この診断はこう」など何を言っても,(それが本当に大事で,身につけて欲しいことであっても),一度批判的吟味のフィルターに掛けられる事になり,本当に教えたいことが伝わらないのではないかというジレンマが生じるのである.

教育というのは誰がなんと言おうとある種の洗脳である(良いことであっても,その考えに染めるわけですから).その発信源を疑ってかかるということを教えること,これはどうすればいいのだろう......

どっちにせよ「学習者はコントロールできない」のであるが.

このジレンマうまく伝わっただろうか