家庭医の42年後のリタイア

familydoc2005-07-15

自分が指導医としてのトレーニングを受けたFaculty Development Fellowshipのdirector, Dr. Joel H. Merensteinが42年間の家庭医としてのキャリアを終える。そのstoryがピッツバーグの地元紙Pittsburgh Post Gazetteに掲載された。(現在Shadyside Hospにて、家庭医のレジデントとして研修中のHK先生より知らせていただきました。 )
Post-Gazette 7/13/2005
一家中で彼の患者だったTaylor一家の視点から、その42年間をつづった記事で素晴らしいNarrativeです。Dr. M(患者さんにそう呼ばれている、そして僕もそう呼んでいる)から引退の手紙をもらって、Taylorさんが新聞に電話したそうです。いつも患者のためにそこにいること、何でも診ること、ずっと診ること、家族全員診ること。そして責任をもつこと。専門性や5原則など難しい話など持ち出さなくても、家庭医の仕事が、その専門性が1家族の目を通して書いてある。この家族が42年間受けたケアは家庭医以外の医師では絶対に提供できない。彼の似顔絵をみて感無量となってしまった。正確な年齢は知らなかったが、記事を読むと1年のインターンと2年の空軍のdrを終えた後28で現在のところで診療を始め、42年間ということで、71歳!
teachingもresearchもやって、しかも一度も診療を中断しなかった。
いわゆる専門としての家庭医療の誕生の前のGP世代からの家庭医。

42年間同じところで診療・・・・・・・・・これ以上の地域へのcommittmentはない。
最初にケアした新生児が20歳で子供を産んだとしてその子がまた20歳で出産したとしてその子が2歳!4世代にわたって継続性を保つということ。

そしてteaching。彼自身がケアした42年でもせいぜい3000名と思うが、その間に彼の魂を引き継いだ家庭医がそれぞれ3000人ケアすることで、彼は間接的に多くの患者をケアしたことになる。'Teaching affects eternity'

年平均2回の通院であるアメリカで最初からの患者さんとは1回15分としても15x2x42/4/24=12日。1500人の患者と約12日間の日々を毎年少しずつ共有した。雨の日も、風の日も、入学、卒業、入院、結婚、お葬式、けが。災害もあっただろう。たくさんの人々の人生をずっと見つめてきたのだろうと思う。
家庭医の役割は患者の生き様のwitnessとなること、と教わった。そしてそうやって教えている。患者のために何も出来ることがなくてもしっかりその生き様を見た証人になれと。

自分は3年足らずで、息切れがしている(前回の場所は5年続いたが)
自分は本当の意味で「家庭医であることはどういうことか」を体で理解しているのか。本当の家庭医療を教えているのか。

前述のGazetteの記事から、Dr.MがJAMAに残したessayの引用
"the most powerful therapy I have to offer my patients is me, and I have tried that prescription as much as possible. The patient-physician relationship has sustained me and my patients and I hope contributed to our health and quality of life."
これはM.Balintの"Self as diagnostic and therapeutic tool"という言葉による。
人間が人間をケアする、その基本的なところにいちばん強力な医療が、ケアがある。

僕が彼の元でfellowをしていた頃、彼はすでに引退のことを考えていた。(その頃ちょうど彼自身が狭心症、カテ、バイパス手術を受けた。)fellowへのteaching sessionの最中に一片のessayを僕を含めたfellowに渡し、「意見を欲しい」といった。そのessayは引退することについて自分がいろいろと考えている文章だった。fellow達が口々に賛辞、批評を述べ、約1年後に素晴らしいessayとなって(メッセージは同じだが、かなり体裁、文章の運びが変わっていた)JAMAに登場した。(前述の引用と同じessayと思うが)
What Will I Do Without You? Merenstein JAMA.2002; 288: 1823-1824.

3名ほどの彼の患者を1名ずつ、その患者と彼が共有した時間をつづり、最後に患者が彼に向かってこの文章のタイトルである、What Will I Do Without You?(あなたがいなくなったら私はどうしたらいいのか)を問いかける。1名ずつのミニストーリーがそれぞれ患者からのWhat Will I Do Without You?の問いかけで締めくくられると、最後に彼が、引退して患者がいなくなってしまったら、自分は何物なのだろう。医師は患者がいて始めて医師なのだから、医師でなくなった自分は何物になるのだろう。何をして暮らしていけばいいのだろう。What Will I Do Without You?(あなたがいなくなったら私はどうしたらいいのか)Dr.Mが患者達に向かって問いかけて終わる。

僕はずっと昔デジタル/左脳/evidence/scienceだけの医師だった。医師としての自分にアナログ/右脳/Narrative/Artの側面をくれたのはDr.Mだ。今の医師としての自分の基礎を作るほど強力な影響を与えた人を影響度の順に挙げるとすればNarrativeな側面の栄養をくれたのは間違いなく彼である。

STFMの年次集会に行くとfellowの同窓会で彼と必ず会う。この5月にも彼の元気な姿を見たところだ。引退の話は出ていた。
teachingは続け、fellowship directorは続けると言っていた。

Dr.M いつかはくださなければならなかった大きな大きな決断だったと思います。月並みですが、お疲れさまでした。

家庭医である、ということはどういうことか。アメリカが問い続け、日本が問い続け、自分自身が問い続けている。

臓器疾患専門医にはない悩み・・・・・・・・・

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もう一つの彼のエッセイはこちらMy First Patient(passwordなしで全文見れます)

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