ケイカンのいい施設?

入院患者さん担当のレジデントとの会話

「入院患者さんはどうなっていますか」
「Aさんは医学的にはおちついています」
「Aさんは療養型の転院施設が見つかるのを待っているだけだったね。そっちは進んでいますか」
「今日Aさんの家族が、施設Xに行ってケイカンがいいか、確認に行ってくださっているはずです」

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私は不可解な顔をした。「景観のいい施設?」
レジデントはなぜ私が不可解な顔をしているかわからなかった。
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患者さんは鼻から胃へ栄養を入れる管が入っておりそれを専門用語で経管栄養と呼ぶ。
施設によって経管栄養をしている患者さんを受け入れられるところとそうでないところがあるので、それを確認に家族が行っている、ということだった。
ほとんどの人は「景観」を想像したのではないだろうか。

感じたことを2つ

1)私が患者のことを十分把握していなかったからか、家庭医としての経験と共に自分の感覚がまた一般の人のそれに近づきつつあるのか。自分の感覚が一般の人のそれに近づきつつあることは喜ばしいことであるが、一方で、同業者と話が出来なくなるのではないか。そういう意味で、医師は医療/科学という専門用語と一般の人の言葉の2つの言葉を理解し使い分けられなければならない。バイリンガルでなければならないのだが、本当の意味でこれの出来る医師はどのくらいいるか。
時々、家庭医は「翻訳の専門家」という例えを使うが、それは多くの医師が、2つの言語をうまく使い分けていないために、別にもう1人通訳が必要になるという残念な事実の裏返しである。

2)ケイカンエイヨウ、といわれれば誤解はなかった。日本特有の省略語文化の弊害。隠語、slangが増えるのはその文化の成熟の指標、という考え方もあるが、その場合も前項同様、異文化と接するときはそういった文化特有語は通用しないことを意識して話さなければならない。

さて最初の話において私はレジデントにとって同業者だったのか、異文化だったのか?